おはようございます。
『新訳 一日一言「武士道」を貫いていきるための366の格言集』の中に「無意識の徳」について触れられている箇所があります。そこには、「知らず知らずの内に徳を行うのが上(じょう)、徳を徳と知って行うのは中(ちゅう)、徳を施さなければいけないと思って徳を行うのは下(げ)である」ということが書かれています。また、この徳というのは「仁」、他者を思いやる慈悲の心です。あなたは今、上中下のどこにいますか。まずは自分ができることから始めて、徐々に上を目指していきましょう!
社内では、
「無意識に徳を行うということは、私にはできておりません。たとえば電車の中で、年配の人に席を譲るときでも『大変だろうから、席を譲ってあげよう』という気持ちがどうしても起こります。そこで、人のために動くときは『満足感や優越感を持たない』ということを強く意識しています。なぜならば、人を助ける、思いやるということは、あたりまえのことだからです。あたりまえのことに満足したり、それによって優越感に浸ったりするような人間にはなってはいけないと思います。これからも、上(じょう)を目指して、日々邁進したいと思います」
「個人の『思いやり』が、できることには限界があると思います。たとえば私1人であれば、花瓶が倒れそうであれば、手で支えますが、電信柱が倒れそうであれば、逃げることを選択せざるを得ません。では、どうすれば電信柱を支えられるのか。それは1人の力ではなく、多くの人の力を合わせるしかないと思います。1人1人の思いやりが下(げ)であっても、皆の力を合わせれば上(じょう)を超える力になることもあると思います。そうはいっても、まずは私自身が、倒れそうな人を支えられるくらいの力はつけたいと思います」
「徳を行う姿勢を鍛えるのは、スポーツにたとえると分かりやすいと思います。どんなスポーツにも、基本のフォームがあります。それらは合理的な体の動かし方ではありますが、日常生活では行わない動きですので、最初はぎこちなくしか動かせず、また窮屈に感じると思います。しかし、毎日繰り返し練習をすることで、その動きはスムーズになり、最終的には無意識で体を動かすことができるようになります。むしろ、一度できてしまえば、どうしてできなかったのかを不思議に思うかもしれません。徳も同じです。最初は窮屈かもしれませんが、日々実践を繰り返すことで、いつの間にか無意識で行えるようになるはずです」
という意見が出ました。
他人からすれば、「無意識の徳」を実践しているように見えることもありますが、「無意識の徳」に自分で気付くことはないのかもしれません。あたりまえのこととして「徳」を実践していれば、それを「徳」と認識することはできないからです。だからこそ、このような言葉が残り、徳を行うことに終わりがないことを、私たちに教えてくれているのだと思います。
今日もみんなで「ついてる! ついてる!」