おはようございます。
電車でお年寄りに席を譲る。道を歩いているとき、自転車が倒れていたら起こす。ゴミが落ちていたら、ゴミ箱に捨てる。顔色の悪い人がいたら、体調を気づかう。このような振る舞いを自然に行う人は素晴らしい人でしょうか。そんなことはありません。この人にとって、これらの振る舞いはあたりまえのことです。子どものころに正しく躾られた結果ともいえます。これを身に付けるのは、今からでも遅くはありません。正しいことを毎日続ければ、やがてそれは習慣になり、それらはいつしか「あたりまえ」になるはずです。みんなで、あたりまえのレベルを上げていきましょう。
社内では、
「正しいことをすると、恥ずかしいな、偽善的だな、と思うことはあります。また、人から『恥ずかしくないの?』『偽善的だ』と言われたこともあります。しかし、それらを習慣にし、あたりまえにすることで、自らを一歩高められると信じています。これからも、正しいことをしっかりと行い、いつしか『あたりまえ』にできるように努力します」
「私自身は何か行動を起こすときに、誰かのためや社会のため、ということを考えたことはありません。誰もしないから、すればいいか、位の感覚です。私自身はそれで良いと考えていましたが、まだ自分の行動が『あたりまえ』のレベルには達していないんだということに気づきました」
「家庭や学校、会社や組織によって常識、あたりまえは違うと思います。しかし、それらの常識が本当に正しいのか、それは社会や人の生き方にとって間違っていないのか、ということには案外気づきにくいものだと思います。正しいあたりまえを身に付けるには、冷静な目と心が必要だと思います」
という意見が出ました。
あたりまえのことを、あたりまえにできないのは、それを「恥ずかしい」「偽善的だ」と思う気持ちが邪魔をしてできないことと、その「あたりまえ」を知らないことにあります。気持ちの問題は自らの行動を変えることで解決できますが、「あたりまえ」を知るには客観的な視点を自らの中に持たなければいけません。正しい行動をあたりまえにできるように、自らを律していきましょう。
今日もみんなで「ついてる! ついてる!」