服部 匡志
はっとり ただし
眼科医
昭和39年生まれ。大阪府出身。京都府立医科大学医学部卒業、京都府立医科大学眼科で研修。その後、各地の民間病院で研鑽を積む。2002年よりベトナムに渡り貧しい人々に治療を行い「ベトナムの赤ひげ先生」と呼ばれる。2022年8月、マグサイサイ賞受賞。
最初の一歩が大事
支えてくれてくる人たち
妻には当初、ベトナムに行くのは3カ月と言って日本を発ちました。しかし、治療を必要とする患者さんは後をたちません。結局、活動を続けて20年がたちました。1カ月のうち2週間はベトナムでボランティアの医療活動をし、残りの2週間を日本の病院で働いて資金を貯めています。その間、留守を守り応援し続けてくれる妻には心から感謝しています。また、活動を支えてくれた人はほかにもたくさんいます。なかでも、恩師の先生を中心に、有志が設立した「NPO法人アジア失明予防の会」の支援には助けられています。また、メディアで取り上げられるようになってからは、一般の方からの寄付も増え、さらに多くの人を治療することができるようになりました。
マグサイサイ賞
しかし、2020年からのコロナ禍で状況は一変します。日本でもベトナムでもコロナ政策により移動が制限され、隔離期間が置かれるなどして、今までのような医療活動ができなくなりました。また日本では手術をする患者さんが病院に来なくなり、収入も激減。日本での収入をボランティアの資金にしていたので、これも大変困りました。幸い、支援してくださる方のおかげで活動は続けられましたが、思うようにいかないことが重なり、ストレスで体調も悪化し、鬱々とした日を過ごしていました。そんなとき、「マグサイサイ賞受賞」の知らせがあったのです。アジアの平和や発展に尽くした人や団体に贈られる「アジアのノーベル賞」ともいえる賞です。20年にわたるベトナムなどでの医療活動を評価していただけた結果でした。とてもうれしく光栄に思うとともに、「この道を進んできてよかった」と確信したのです。苦しくても続けてきたことが認められ、光が見えてきました。それまで落ち込んでいた気持ちが明るくなり、やっとマイナス思考の回路から抜け出せ、物事がプラスに動きだしたと感じたのです。大切なのは気持ちの持ちようです。
うまくいかなくてもあたりまえ
コロナが落ち着き、再び海外へ行けるようになった現在、後進の指導にも力を入れています。病院での治療のほか、若い医師たちへの教育も、私の大切な使命です。母校の京都府立医科大学で、医療の国際交流事業が行われていますが、ベトナムからの受け入れは初めて。しかも私の専門ではない科目で、それぞれの科の先生らに気を遣いながら、今年の2月から3月にかけて、ベトナムの医師を2名大学に招き、研修を行うプログラムが実施されました。初めてのこと、しかも海外とのやり取りなので、手続きがスムーズにいかず、実習の開始が遅れるというアクシデントがありました。計画どおりにいかないと、不満を言ったり受け入れられなかったりする人がいます。しかし、前例のないことに挑むのですから、多少何か問題が起きるのはあたりまえ。重要なのは新しい第一歩を踏み出すことで、それ以外は大した問題ではないと思っています。研修の結果は手ごたえのあるもので、ベトナムだけでなく日本にとっても意義のあるものになりました。今後は医学生レベルでも交流が広がることを期待しています。海外と日本の両方で若い人が育ってくれたらうれしいです。
これからも困難は訪れると思いますが、信念をもって人を救い続ける道を進んでいこうと思っています。