中村 正善

中村 正善

なかむら まさよし

株式会社JINRIKI 代表取締役社長

昭和33年生まれ。東京都渋谷区出身。
株式会社JINRIKI代表取締役社長。
世界初のけん引式車いす補助装置「JINRIKI」の開発者。観光庁ユニバーサルツーリズム検討会委員、視覚障害者文化振興協会理事なども務める。日本発明大賞、福祉機器コンテスト最優秀賞など受賞多数。

人の命を助けたい

自分にできること

2011年の東日本大震災では、現実とは思えないほどの大きな被害が連日報道され、被災地には世界中から多くの人々がボランティアに駆け付けます。私も、すぐにボランティアに参加することを考えました。しかし、災害ボランティア経験の少ない50才を過ぎた男が単独で参加することによって、むしろ迷惑を掛ける可能性もあることを、私は過去の経験で知っていました。そこで「自分にできる、もっと役に立つことは何だろう」と考えたときに、一度は諦めた車いすのけん引レバーのことを思い出したのです。

「そうだ、あのアイデアだ!」

あれを形にすれば「高齢者や障がい者が逃げ遅れずに、がれきや坂道でも避難でき、人の命を助けられるかもしれない」と思いました。東日本大震災において、障害者手帳保持者の死亡率は全住民の約2倍で、死者数の約6割を占めていたのは65歳以上の高齢者だったのです。私のアイデアが実現すれば、高齢者や障がい者などの要配慮者が、健常者と同じタイムで避難可能になるはずです。

もうひとつの大きな出来事

JINRIKIの開発が具体的なものとなり、会社を立ち上げることになったのは、2つの出来事がきっかけです。ひとつは、東日本大震災。そしてもうひとつが、ある人の手助けをしたことでした。「不幸な事件で、片足を切断した日系外国人の女性がいるから助けてほしい」と知人から依頼され、身寄りのない彼女が自立して生活できるよう、法律や社会福祉制度などを調べてサポートしたのです。

私は弁護士ではないので、当然報酬をもらうつもりはありませんでした。しかしその女性が勤める町工場の社長が、「何かお礼がしたい」と言ってくださいました。そこで工場の片隅を貸してもらって、JINRIKIの試作を行うことになったのです。その会社が長野県にあったことが長野の地で開業した理由です。

階段のテストの様子

さらに、女性に義足が必要になったため、お手伝いをすることで、多くの経験と知識を得ることができました。車いす関連の商品を開発している私にとって、これほどありがたい経験はありません。私はこれまで多くの偶然と人々に助けられ、支えていただいてきたのです。

試作機づくりを開始

勤めていた会社を退職した私は、試行錯誤を繰り返しながら試作機を製作しました。しかし、問題は山積みです。特に「どの車いすに合わせて作ればいいのか?」という問題がありました。私は開発にあたって、こだわったことがあります。それはできるだけ多くの車いすに取り付けられることです。しかし、とにかく種類が多すぎるのです。車いすメーカーは国内だけでも20社以上あり、ましてや障がい者用の車いすはオーダーメイドが多く、形も違えばパイプの太さや角度も違います。「車いすと一体式で作らないと無理だ! これまで商品化されなかったのは、これが理由なんだ」と、気が付き、何度も開発を諦めようと思いました。しかし、そんな私の背中を押し、決意を大きく変えることが再び起きたのです。