西村 淳

西村 淳

にしむら じゅん

南極料理人

1952年北海道留萌市生まれ。海上保安官として勤務した後、第30次(1988年)、第38次(1996年)南極地域観測隊に参加。南極という極限の地で料理人として隊員の食事を用意する。第38次のドームふじ基地での経験を元にエッセイ『面白南極料理人』を出版。人気となり映画化、ドラマ化された。

最初の南極行き

本部からの入港命令

時は昭和63年、春うららかな日の出来事である。北海道の日本海側にある小さな港町、留萌市から、小樽市に転勤になった。

当時は現役バリバリの海上保安官で、傍らには愛妻「みゆきちゃん」がおり、娘の「友花」と長男の「航」が可愛いさかりで、絵に描いたような幸せまっただなかの生活だった。

別に自分の幸せ自慢をしているわけではないが、ともかく平和な生活を送っていた。そんなときに事件は起きた。巡視船で航海中に、いきなり本部から入港命令がきたのである。パトロール中の巡視船が、いきなり帰航するなんてことはありえない。しかも船長に呼び出されたのである。「西村君。帰航命令が下って、本船は小樽に向かっているが、何か思い当たることはありますか?」まったく覚えがなかった。汚職はもちろんしていない。留萌で飲み屋のつけは払ってある。不安が黒雲のように広がった。事情聴取→逮捕→警察での取り調べ→検察庁の取り調べ→裁判→刑務所……。悪いことはしていない……はずだ…しかし…まさか。考えているうちに小樽に入港した。

突然の事態

おそるおそる本部に顔を出した。人事課に行けということになり、頭のなかに「?」マークを点滅させたまま、人事課長の前に立つ。「国立極地研究所から派遣要請が来ているので、ただちに東京に行って身体検査を受けてください。ちなみに明日出発だから」。

部屋を出るときこんな言葉が追いかけてきた。「なんだか昭和基地というところで、越冬するらしいよ」我が脳髄の奧で鐘が鳴りひびいた。越冬と言えば冬を越すのである。と言うことは1年以上か……。しかも越冬と言えば、あの有名な「南極観測隊」ではないか。事態がにわかに切迫してきた。

小樽に転勤してきたばかりなのに、今度は15,000キロメートルも離れた南極に転勤。しかも1年以上家族と離ればなれ、おまけに決して会うことはできない。言い方を換えれば「島流しの刑」である。突如我が身に振りかかった不運に、正直心の持って行き場がなかった。

長女の友花と長男の航

家族との別れ

頭以外は悪いところがなかったので、身体検査は無事終了。越冬隊長との面接が始まった。「よかったですねえ。無事合格して……。南極に一緒に行きましょう」。別に南極は熱烈希望していなかったんですけど……とも言い出せず、なんとなく南極観測隊員になってしまった。

それから調達作業、業者との折衝等々、さまざまな準備が始まったのであるが、船乗りから事務作業に変わったことがいかにもつらく、何度も逃げだそうと思った。

出発間際に北海道に帰ったのであるが、さて東京に向かいましょうというとき、娘がテーブルの上の自分のおもちゃを片付けだした。一緒に南極へ行く気満々である。

迎えのタクシーに乗り、振り返るとみゆきさんに抱かれた友花が泣いていた。自分のまなこにも涙がにじんできた。タクシーが発車した。

友花の姿がどんどん小さくなっていった。胸がしめつけられるという体験を初めて我が身に感じた瞬間である。