西村 淳

西村 淳

にしむら じゅん

南極料理人

1952年北海道留萌市生まれ。海上保安官として勤務した後、第30次(1988年)、第38次(1996年)南極地域観測隊に参加。南極という極限の地で料理人として隊員の食事を用意する。第38次のドームふじ基地での経験を元にエッセイ『面白南極料理人』を出版。人気となり映画化、ドラマ化された。

「普通」が何より素晴らしい

南極に着きました

涙々の晴海埠頭での出航を終え、「南極観測船しらせ」は一路南極に向かった。

航海中は越冬準備、避難訓練などがあるものの基本的に暇である。

本庁からの命令といえども、電報数本で「第30次日本南極地域隊観測隊調理部主任」に任命された身。わずかながら周囲に目を通す余裕も出てきた。

国から選ばれた「南極地域観測隊」だから、さぞや屈強な隊員達がそろっていると思っていた。映画「南極物語」に出てくる高倉健さんのイメージである。

実際の観測隊員達は、よく言えば普通のおじさんたち。見た感じだけで言うと種も仕掛けもないおっちゃんたちで、高倉健も渡瀬恒彦もいなかった。

イメージと違う南極の地

隊をたばねる隊長も、京大のアイスホッケー部出身と聞いていたから、さぞや頑健で、体力でみんなを引っ張っていくタイプと推察していたが、いつもにこにこ穏健で、酒とラーメンをこよなく愛し「人類みな兄弟!!」系のオーラが満ちていた。

よく肥えて、いつも鼻から息を吐き出している奴も、我が相方の調理の隊員かと思ったら、なんとパイロットで、「飛行機飛ぶんかいな」と少し思った。

要するに隊員誰もがイメージしていた「日本南極地域観測隊」とは微妙に異なり、きわめて普通のおっちゃんが新橋駅前あたりから集められてきた風景といったところが正直なイメージである。

まあ隊員の私見をあれこれ言っても仕方がないが、不信感とも、なんともつかない気持ちを胸に秘めたまま第30次南極地域観測隊は、一路南極へ向かった。

昭和基地で出迎えてくれた29次隊も、これまた普通のおじさんたちで、かの有名な「昭和基地」も薄汚れた古い・暗い・木造プレハブの建物だった。

昭和基地主要部

普通って最高!

そして1年間がたち、あっという間に引き上げる橇の中である。雪上車に3台が引かれ、向かう先には南極観測船が停泊していた。普通はヘリポートから見送りを受けつつ越冬隊が飛翔する。それが今年は連日の霧にはばまれ、地上を橇でゴトゴトになったのである。

橇の中で、とあることに気がついている自分がいた。「普通……最高じゃん!!」南極観測隊は科学から観測までさまざまなことを行っている。しかも作業資材・燃料・食糧に至るまで補給は絶対不可能である。要求されるのは普通のことを絶対成し遂げる絶対的な普通の技術である。参加官庁の気象庁を例に取ってみると、毎日3時間おきに気象観測をしていた。365日プラスアルファーの観測を淡々とするのである。

航空機の整備も、一年中ピラタスポーターを飛ばせるよう作業がなされていた。吹雪の日でも整備するわけを聞いたら、「仕事だから」の一言で片付けられた。普通のことを完璧にこなし、その作業や観測を毎日・毎時間・やり続ける。それがどんなに凄いことか……。1年あまり越冬して心底感じ入らせてくれた。

ただ自分は楽しめなかった。仕事はたくさんしたが楽しむことはできなかった。かくなるうえは南極に戻ってこよう。そしてもっと楽しもう。映画のような台詞が浮かび上がってきた。霧の壁に向かい、大声を上げた。「I WILL BE BACK!!」