志茂田 景樹
しもだ かげき
作家 よい子に読み聞かせ隊 隊長
昭和15年静岡県生まれ。1980年、小説『黄色い牙』で第83回直木賞受賞。
99年、「よい子に読み聞かせ隊」を結成、隊長となり全国各地で読み聞かせ活動を行っている。2010年より始めたtwitter では、中学生から大人まで27万人を超えるフォロワーに支持されている。
ゾウのはな子に背中を押されて
国民的ブーム はな子
今は「井の頭自然文化園」にいるはな子に会いに1人で上野動物園に行ったのは、1949年の秋も深まった頃でした。その年の9月、はな子はタイから日本の子供たちにプレゼントされて、上野動物園にやってきました。
はな子は日本に到着する前から大いに話題になっていましたが、日本の土を踏んだときから、はな子ブームを巻き起こしました。まさに国民的なブームで、愛読していた小学生向けの日刊紙や、学年別の小学生雑誌で、その記事やグラビアを見て、僕は矢も盾もたまらず、はな子に会いに行きたくなりました。
突然訪れた悲しみ
当時、小学4年で9歳だった僕は、夏休みが明けて体調を崩し、微熱が続くようになりました。学校を休んで1日中、おもちゃのピストルをいじっていたこともありました。
その原因は解っていました。夏休みも終わりに近づいた頃、2学年下で大の仲良しだった近所のN子ちゃんと砂利置き場にもなっていた原っぱで遊んでいました。トラックがバックで入ってきて、それに気づいた僕が「危ない!」と声をかけたときにはトラックに背を向けていたN子ちゃんは逃げ遅れて轢かれてしまいました。
即死でした。僕は深く悲しみ、N子ちゃんが轢かれたのは自分のせいだという自責の念も強くて、体調を崩したのです。
はな子に会いたくなったのは日本中の子供の人気を集めている、あの子ゾウに会えば気が晴れるのではないか、と思ったからなのでしょう。
はな子に会いに
上野動物園は人がいっぱいでした。ゾウ舎の外に黒山の人だかりができていました。僕は外側の大人たちの間をくぐり抜けて子供たちの群れに紛れました。
朝礼台より広く朝礼台より低い台の上に子供のゾウが乗って芸をしていました。はな子でした。2歳の子ゾウと知っていましたが、想像していたよりも小さく痛々しそうにも見えたので自分に重ねて、体調が悪いのかもしれない、と同情したほどでした。
飼育係が渡した日の丸の小旗を、はな子は鼻で巻いて受け取り、振りかざすと同時に前足を上げてチンチンをしました。歓声が上がり、拍手が起こりました。僕も夢中で手をたたきました。
はな子は、同じ芸を少しずつ向きを変えて数回繰り返しました。複数の飼育係が黒山の人だかりを分けて切り通しのような通路を作りました。日の丸の小旗をはな子から受け取った飼育係に促されて、はな子は台を降りて通路を通ってゾウ舎のほうへ向かいました。
そのとき、鼻を振りかざして、はな子は一声鳴きました。よく通る声で悲しみがこもっていたように聞こえました。
僕は胸を突かれた心地になりました。ゾウの2歳と人間の2歳はあまり変わらない、と購読していた雑誌に書いてありました。はな子はまだお父さんや、お母さんに甘えたいはずなのに、はるばると日本へやってきて一生懸命芸をして頑張っている。
9歳の僕が元気をなくしていてはおかしいじゃないかと思ったのでした。僕の気持ちは、そのときに切り替わりました。