玉置 妙憂

玉置 妙憂

たまおき みょうゆう

看護師・僧侶

看護師・僧侶・スピリチュアルケア師・ケアマネジャー・看護教員。専修大学法学部法律学科卒業。国際医療福祉大学大学院修士課程保険医療学看護管理専攻看護管理学修士。高野山での修行を経て、高野山真言宗阿闍梨となる。現在は非営利一般社団法人「大慈学苑」を設立し、スピリチュアルケアを実践している。

ハトはハト カエルはカエル

ピアノのお稽古

私は看護師として医療に携わった経験を生かし、現在は、終末期医療の現場でスピリチュアルケア師として活動しています。そんな私の過去を振り返っていきたいと思います。

まだ5歳になったばかりのときでした。「ピアノのお稽古に励む娘」という幻想を抱いていた母は、先生を家に呼んで私にピアノを習わせ始めました。興味も才能もなかった私は、それがもう、いやでいやで。当然、先生に出された宿題練習なんて、やろうはずがありません。するとお稽古の時、クリスチャンだった先生がうっすらと涙を浮かべて言うんです。「ゆうこちゃん。練習がきちんとできるように、神さまにお祈りしましょう」それがまた、いやでいやで(笑)。

なんとか頑張っていましたが、小学校2年生になってついに「ピアノを辞めたい」と訴えました。その頃には、わが子に才能のかけらもないことに母も気が付いていましたので、「何かほかのお稽古をするなら辞めてもいい」と。そこで私が選んだのが「水泳」でした。

母に勧められたピアノのお稽古は私には苦痛でした

努力の方向

近所のスイミングスクールに通い始めた私はみるみる頭角を現し、1年後には強化選手コースに引き抜かれ、いっぱしの水泳選手として、高校まで過ごすことになりました。「おまえに闘争心さえあればオリンピックに行けるのに」と、コーチに言われ続けたことはさておき、それなりに厳しく楽しい選手生活を送らせてもらったことで、心身ともに鍛えられたと思っています。

そこでしみじみ思うのは、「ハトはハト カエルはカエル」だということです。人には、できることとできないことが、明確にあります。どんなに頑張ったって、ハトは泳げないし、カエルは空を飛べない。努力が足りないとか、根性がないとか、そういった問題ではなく、もともとの素材として、それがあるのだと思うのです。

でも、私たちは、しばしば勘違いします。「がんばればなんとかなる」と。そして、大成功した人の本を読み漁って、自己啓発セミナーに大枚をはたいて、「あの人みたいになりたい!」と必死で努力するのです。でもね、なれません。すると今度は「私はダメだ。なにをやったってうまくいかない」と落ち込んで、やる気をなくしていくのです。ええええ? ちょっと待った! それ、おかしいですよ。間違っています。なんでハトなのに泳ごうとしている? なんでカエルなのに飛ぼうとしている? 努力の方向が、ずれています。

唯一無二の存在

ハトとカエルに優劣なんてないのは、ご承知の通りです。ハトもカエルも互いに取って代わることなどできはしません。あなたとあの人も同じです。どちらも唯一無二の尊い存在。あの人にできて自分にできないこともあれば、あの人にできなくて自分にはできることもあるのです。当然ですよ。だって、ハトはハトで、カエルはカエルなんですから。それでいいのです。同じ努力をするのなら、自分自身をよくよく見極めることにつかってください。己を知って、己の「得意」を延ばすほうがずっと楽に生きられます。

というわけで、この経験から得た私のひとこと。「まずは己をとくと見定めよ。ハトはハト。カエルはカエル。努力の方向を間違えるな」。