玉置 妙憂

玉置 妙憂

たまおき みょうゆう

看護師・僧侶

看護師・僧侶・スピリチュアルケア師・ケアマネジャー・看護教員。専修大学法学部法律学科卒業。国際医療福祉大学大学院修士課程保険医療学看護管理専攻看護管理学修士。高野山での修行を経て、高野山真言宗阿闍梨となる。現在は非営利一般社団法人「大慈学苑」を設立し、スピリチュアルケアを実践している。

「天からの指令」を待つ

行き当たりばったり?

振り返ってみれば、「行き当たりばったり」「猪突猛進」「思い立ったら吉日」という歩き方をしてきたようです。もちろん、自分ではそんなふうには思っていないのですけれど、周りからそういった評価をしばしばいただくので、どうやらそうなのでしょうと思っている次第です。

大学生の頃、NHKの番組「シルクロード」に感激して、すぐにシルクロードを歩きに行きました。広大なタクラマカン砂漠に立ち、砂混じりの熱風に吹かれながら「ああ、ここに来たのは初めてではない。私は前世、中国の修行僧だったのだ」と確信したものです。

生まれてきた子どもが重度のアレルギーと分かった時には、知識がないと育てられないと思い、看護の勉強をすることにしました。これが看護師になったきっかけです。

言葉が降ってくる

夫を見送って虚脱状態になっていた時には、どこからともなく「出家」という言葉が降ってきて、迷いも、大袈裟な決心も決意もなく、ごく自然にとっとと仏道に入りました。

こんなふうにお話ししますと、いつも前向きに頑張っているように聞こえてしまうでしょうが、そんなことはありません。「やだ」「ダメだ」と思ったら、ポンポンと放り出して止めてしまってもいます。石の上にも三年なんて、どこ吹く風です。

もちろん、ときには迷うことも、どうしたらよいか分からなくなることもありました。いや、今だってあります。でも、そんなときは、しばらくじっとしていると、どこからともなく言葉が降ってきて、どう進めばよいかを分からせてくれるのです。

なんだかちょっと怪しい人のようになってしまいましたが、本当なんですよ。どうやら、この身体は借り物です。神だか仏だかわかりませんが、なにか大いなるものが、この身体を使って……いや、益々おかしくなるのでこのあたりで止めておきましょう(笑)。

とにかく、です。降りてきた言葉に従うということです。私はそれを「天からの指令」と捉えていますが、人によっては「直感」とか、「モチベーション」とか、「思い立ったら吉日」とか、表現なさるのでしょうね。どんな表現でもかまいやしません。ここで大事なことはふたつです。

心が波立っていると天からの指令を受け取れない

常に平らかな気持ちで

ひとつは、それを信じろということ。せっかく「指令」が降りてきているのに、「うまくいくのかな……」とか、「人からどう思われるかな……」などとぐちぐち考えて踏み出さないでいると、「指令」は取り下げられてしまいます。素直に信じて動くことです。

ふたつめは、いつでも「指令」を受け取れる状態でいるようにすること。私の場合、「指令」が降りてくるのは眠りから目覚めた瞬間です。つまり、リセットが完了して、静かな安定した状態である時なのです。些末なことに刈り取られて気持ちがざわつき、波立っているときには受け取れません。常に平らかな気持ちで待つことです。

というわけで、この経験から得た私のひとこと。「心静かに『天からの指令』を待つ。しのごの言わずにそれに従う」。